自衛官の靖国への想い
先月末、国会議員が大挙して靖国神社に参拝しました。
「国会議員168人が靖国参拝 前年から倍増」(JCASTニュース13年4月)
国際問題・政治問題としての靖国神社参拝問題については、ここでは書きません。(正直、あまり興味がない)
私が書きたいのは、靖国神社に対する自衛官の想いです。
靖国参拝を是とする人も、非とする人も、基本的には、その思いは祀られている英霊に向けられているでしょう。
それは基本的には、過去への思いです。
しかし、靖国に参拝する自衛官の想いは違います。
それは「俺もここに来るのかな。そうだったら嬉しいな」という現在の想いです。
もちろん、過去の英霊に対する想いもあります。ですが、やはり強い感傷を抱くのは、自分や仲間の事、現在の想いです。
過去の英霊、あるいは先輩達のように、勇敢に戦えば、例え死んでもここで多くの人に想ってもらえる
このような考えは、自衛官には、やはり特別の感傷を与えます。
各種戦史的資料を展示している遊就館があるため、隊員を教育のために靖国に連れて行く事があります(ついでに参拝することもありますが、信教の自由のため参拝は自由です)が、こうした想いは、やはり強烈です。
まだまだ自覚に欠ける若い隊員を連れて行っても、やはり何かを感じるのか、目の色が変わります。
どんな人間が、切々と教育するよりも、何倍も効果的です。
今でこそかなり変わりましたが、それでも自衛官は、諸外国の軍隊のように表立って感謝されたり、敬意を表されたりすることは少ないです。
しかし、靖国があり、そこに真摯に参拝する人が多く居る限り、自衛官は、困難な戦場でも戦えるでしょう。
だからこそ、周辺諸国は靖国を否定すべく発言もしてくるのでしょう。
靖国参拝問題を考える時、歴史の問題として捉えるだけでなく、靖国に対して、現在の自衛官が、どんな想いを持っているのかも、考えて欲しいと思います。
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