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防衛関係法規・規則

2015年9月 3日 (木)

トランプ発言は沖縄を平穏にする

アメリカ大統領選の共和党候補中、トップを走るトランプ氏の発言が、注目を集めています。
「トランプ発言」で米国に広がる日米安保不公正論」(週刊文春2015年9月10日号)

「日米安保条約の規定ではアメリカは日本が攻撃されれば、日本を防衛する義務がある。だが日本はアメリカが攻撃されても支援しなくてよい。これでよいと思うか」

 会場からはいっせいに「ノー」という声が上がった。


日米安保条約の片務性を解消せよという主張です。
リンク記事にもある通り、過去にあった”安保ただ乗り論”と同じです。

トランプ氏の発言を報じるこれらの記事では、アメリカの国力衰退により、基調として、義務だけを負うのは嫌だというアメリカ世論があると言われます。
この記事の後半で、トランプ氏のような右派だけでなく、左派にも同じ主張があると報じているのは、まさにこの世論分析を裏付けるものです。

トランプ氏の日本非難は共和党保守右派の極端な少数意見だと日本側では受け取られそうである。

 ところが同種の「日本不公正論」は民主党左派、つまりリベラル派にも実は存在するのだ。下院外交委員会の7月15日の公聴会でブラッド・シャーマン下院議員が日本を批判した。

「9・11同時テロでアメリカ人が3000人も殺されたとき、同盟諸国はみな集団的自衛権を発動して支援してくれた。だが日本はそうしなかった。日米同盟だけは片務的だからだ。自国の防衛負担をアメリカに押しつけるのだ。こんな同盟は前世紀の遺物であり、21世紀には合わない」


しかし、トランプ氏が片務性解消を唱える理由には、もう一つ、大きなものがあります。
それは、彼が日米の政治課題を先読みしていることです。

安保法制は、まもなく参院で可決成立する見込みです。
安保法制が成立し、”明文的に”日本が集団的自衛権を行使できることになれば、アメリカは、日米安保条約を、現在の片務条約から双務条約に変更する改訂を持ちかけることができるようになります。
(現時点で持ちかけたとしても、憲法で禁じられていると言われてしまうため、アメリカとしても言いにくい)

日本とすれば、双務化改訂により義務が増えることになります。
そのため、義務の増加を考えれば良い話ではありません。

ですが、片務のままでは、尖閣や沖縄が中国から脅かされても、アメリカが本当に軍事力を行使してまで条約を履行しようとするかは不透明です。
双務条約化されていれば、アメリカのコミットメントが強化されることが期待できます。

そのため、自民党政権が継続していれば、この改訂を受け入れるでしょう。

その時、トランプ氏が大統領であれば、また大統領になれていなかったとしても、今声を大にして片務性を非難したトランプ氏は、先見性ある政治家と見なされますし、改定をトランプ氏の成果だとアピールできます。

しかし、安保条約の片務性を解消し、双務条約とすることに対しては、安保法制以上に、左派マスコミ・反対派が強硬な態度を見せるでしょう。
自民としても、困難な政治課題です。
ですが、自民としても、積極的に取り組む意義があります。

それは、現状ではアメリカにとって不平等な安保条約が、日米双方に平等なものになるならば、現状では日本にとって不平等な日米地位協定も、また同様に平等なものにできるはずだからです。

日本は、沖縄などで米兵による問題が起きるたび、日米地位協定の改定を模索してきました。
しかし、安保条約がアメリカにばかり義務を課している状況では、地位協定だけを平等にするのはフェアではないため、アメリカに飲ませる事ができませんでした。

安保条約を双務化するなら、逆に不平等な地位協定もセットで改訂させるべきですし、可能なはずです。

安倍政権の狙いも、恐らくここにあります。

まるで、風が吹けば桶屋が儲かる話のようですが、トランプ氏が日米安保の不平等を非難すれば、それは地位協定の改定による沖縄の平穏につながるはずです。

台湾や東南アジアの政治・軍事環境を考慮すれば、普天間を沖縄から遠く離れた場所に移転させることは困難です。

ならば、地位協定を改定し、海兵隊が無法を行わないように、行われた場合は、日本の法律で裁くことができるようにすべきです。

そのためには、まず、安保法制を成立させることが必要です。

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2015年8月14日 (金)

尖閣は侵略されない……だからこそ必要な安保法制

安保法制審議はお盆休戦中のようですが、お盆が明ければ、また共産党の小池晃氏のように、的外れな非難が始まるでしょう。どんな官庁でも、成立公算が高い政府提出法案に対しては先行検討をすることなど当たり前……というか、当然やってしかるべきことなんですが……
参院安保特:成立前提で検討資料 防衛省「2月施行」」(毎日20150811)

それはともかくとして、こんな的外れな非難でも、アピールになると言うことは、それだけ安保法制に対する国民の理解が、まだまだ足りない証左でもあります。

政府・与党が、法案審議において中国脅威論を持ち出してきたのは、参院での審議からです。その際、ガス田開発が持ち出されていますが、目的は、尖閣・沖縄に対する脅威を意識させるためでしょう。

しかし、八重山を含む沖縄だけでなく、尖閣に対しても、当面は侵略される恐れはありません。
しかし、それだからこそ、安保法制が必要です。

中国は、チベット侵攻に留まらず、自国の領域を広げるため、四方八方で領土紛争を繰り広げてきましたが、軍が陸軍主体であるため、近年まで海に出てくることはありませんでした。

しかし、現在では東シナ海では尖閣に手を伸ばそうとしていますし、南シナ海では西沙諸島や南沙諸島に手を出そうとしています。また、台湾に対しては、台湾海峡ミサイル危機以降、軍事的手段は封印していますが、『一つの中国』の主張は変わっていません。

現時点で、台湾に対して軍事的手段を封印しているように、中国共産党政府は、挑戦はしますが、冒険はしません。

関係国の軍事的な能力の点では、尖閣を欲しがって強力な自衛隊と対峙するか、埋め立て問題が発生している南沙諸島を欲しがって弱小のフィリピン軍と対峙するか

関係国の政治的な能力の点では、尖閣を欲しがって、今やNATOに次ぐほど強力になった日米同盟と対峙するか、南沙諸島を欲しがって米比相互防衛条約は続いているものの、スービックやクラークから米軍を追い出した米比関係と対峙するか

現時点では、軍事的にも、政治的にも、尖閣を後回しにして、南シナ海の諸島群を狙うのことは間違いありません。

しかし、もし中国が南シナ海を手に入れれば、台湾の南を押えたことになります。次には台湾の北、つまり尖閣を押え、台湾に圧力をかけることを狙うでしょう。
安保法制は、このような中国の侵略政策を牽制するものになります。

米比関係は、日米同盟ほど堅固ではなく、アメリカ世論は、日本防衛以上にフィリピンへの肩入れには慎重です。
中国が、南沙諸島でフィリピンと衝突する際、日本(自衛隊)も関与するとなれば、その地理的環境も含め、米比連合にとって、大きな力になります。

これは、政治的にも勿論ですが、軍事的効果は絶大です。
海上自衛隊を、大規模に南シナ海に進出させる必要はありません。
もちろん、象徴的な意味で、一部を出す必要はありますが、それ以上に、東シナ海において中国軍を牽制することで、中国海軍の北海艦隊を東シナ海に釘付けにし、瀋陽・北京・済南・南京軍区の空軍機を、自衛隊機に警戒させることで拘束することができます。

中国が、自衛隊の存在を無視してくるようなら、有志の民間人が、尖閣に灯台でも作りに行けばいいでしょう。

中国は、当面の間、面倒な尖閣を侵略してくることはないはずです。その前に、南シナ海に手を出します。実際、最近の南沙諸島埋め立て問題は酷い状況です。

ここで、中国の侵略を止めておけば、尖閣や沖縄が侵略されること防げます。

また、南シナ海への侵略を止められなかった場合は、より一層、現時点での安保法制が意味を持ちます。

アメリカ世論は、以前の記事「集団的自衛権問題は、ナゼ今なのか_その背景」で書いた通り、アメリカ世論は、日米安保に基づいて日本を支援することに対して、否定的になってきています。
その最大の理由は、日本が集団的自衛権を行使せず、アメリカと共同歩調を取らないためです。

南シナ海での紛争に対しても、日本が金を出すだけの対応をしていたら、アメリカ世論は日米安保条約など投げ捨てるでしょう。

だからこそ、現時点での安保法制が必要です。

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2015年7月17日 (金)

安保法制が分かり難い訳

日本の安全保障法制を大変革する歴史的な安保法制が、衆院を通過しました。

しかし、衆院は通過したものの、首相自身が、国民の理解が深まるように丁寧な説明に力を入れたいと語ったように、国民の理解は必ずしも得られていません。

実は、ここで言う「理解が得られていない」には、2種類あります。
「支持されていない」と「(文字通り)理解されていない」です。

「支持されていない」は、ここでは問題にしません。
「理解されていない」理由を、ちょっとばかり考えて見ます。

もちろん、その理由には、いくつもありますが、影響が大きいのは2つだと思います。
① 内容が多すぎて、考える気にさえならない
② 政権サイドの(説明)戦略ミス

まず、①ですが、改正される法が10本、新規制定が1本となっています。
しかも、それらは密接に関わっており、もともと安全保障法制に興味を持っていた人でもなければ、相互の関係を含めて、非常に分かり難い内容です。

そして、それらは、今まで現実には生起していない事象を取り扱うモノであるため、非常にイメージし難いものです。
結果、ほとんどの人にとっては「何だか良く分からん」状態になっているように思われます。

その結果、「何だか良く分からん」モノを、強引に通そうとしている印象を与え「何だか信用ならん」という世論になっているのではないでしょうか。

もう一方の②、政権サイドの(説明)戦略ミスは、この安全保障法制のミソが、集団的自衛権でありながら、集団的自衛権への理解納得を得ることを避けたような説明を取っていたことです。

自民党のサイトに掲載されている安保法制関係資料の内、最も素人向けと思われる政策ビラ「平和安全法制の整備」には、集団的自衛権について、次のように説明されています。
Photo

集団的自衛権の行使により、何ができるかとの問いに対して、2つのケースを例示しているのですが、どちらも、国民に疑念を与えかねない例です。

前半のアメリカの輸送艦を守るケースは、艦船はアメリカ艦であっても、日本政府の行動は、日本国民を避難させるために運航している船を守ること、つまりは日本人を守るための行動です。
日本人を守るための行動が、集団的自衛権でなければできないというのは、世間一般の”感覚”からしたら、理解困難です。

ここで重要なのは、”感覚”です。なぜなら、良く理解できない人に対する説明なのですから、”感覚”的に理解できなければならないのです。
それを、ある程度は意識したからこその例示なのですが、例が良くありません。

後半の、機雷除去も、同様によろしくありません。
野党はおろか、内閣法制局長官にまで、日本にとっての脅威になるのだから、個別的自衛権の行使によって実施可能と言われてしまっています。

機雷は、無差別テロと同じように、不特定多数の艦船が被害を受ける可能性があります。多くの国民は、日本人にとっても直接的な脅威であると”感覚”的に考えるでしょう。
安倍首相は、集団的自衛権でなければ不可能だと言っていますが、”感覚”的に理解されないのですから、この例ではダメなのです。

日本の掃海能力は、装備の質・量だけでなく、技術の面においても、世界トップクラスではなく、間違いなくトップです。

この法案が成立した以後、ホルムズ海峡に機雷が撒かれるような事態になれば、当然期待を持たれることになります。
そのため、この例を出しておくことで、その時には、スムーズに動けるという思惑があるのでしょう。

法案成立前の今の時点では、伏せておくことにしますが、こうしたものしか出さない理由には、その他の理由も推測できます。
なので、自民党の気持ちは分かります。

しかし、それにしても、”感覚”的に、なんとなく分かるというのは非常に重要なのです。
この点で、やはり(説明)戦略ミスがあると思えてなりません。

何とか、参院を乗り切って欲しいものだと思います。

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2015年7月10日 (金)

維新独自案は現実乖離の神学論争用法案

維新の党が、安保法制維新独自案として法案を出しています。
広範な法案なので、全体のレビューはしません。

しかし、維新の党が、この法案の核と位置づける部分において、この法案は、違憲か合憲かを戦うための神学論争用法案でしかありません。
自衛隊法等の一部を改正する法律案の概要

戦争は、常に相手の弱点を突くものであり、法に弱点があれば、相手はそこを突いてきます。

維新の党は、この法案によって、日本の防衛にあたっている米軍艦船に対して攻撃がなされれば、これが日本に対する明白な危険であるとして、”憲法が認める”個別的自衛権として、防衛出動を行えるとしています。

しかし、例えばのケースですが、北朝鮮が、日本に対しては一方的に不可侵宣言を行ってきたら、どう対応するつもりでしょうか。
その状況で、自衛隊に対して、日本に対して一方的に不可侵だと言っている国(の軍隊)を攻撃させるつもりでしょうか?

この場合、自衛隊が北朝鮮の艦船や航空機を攻撃した時、それは個別的自衛権に基づく行動だと言えるでしょうか?

現に攻撃を受けている訳でもなく、将来においても、一方的に不可侵だと言っている国に対して攻撃すれば、それは、個別的自衛権どころか、相手からは侵略だと言われかねません。

ちなみに、このケースでも、集団的自衛権での行動というスタンスであれば、問題はありません。
そもそも、こう言う言い方を防ぐための方法が、集団的自衛権だとも言えます。

また、維新案では、米国に向かう弾道ミサイルの迎撃はできません。(能力上の問題はありますが)
これで、アメリカと良好な関係を維持できると思っているなら、民主党同様の○○○畑でしょう。

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2015年6月 4日 (木)

領域警備は誤解だらけ

前回の記事「安保法制だけで終わらない防衛関係法制の不備」は、反響が大きかったのですが、驚いたのは、見当違いの誤解が、非常に多かったことです。

やっぱり、国際法が大きくからむ法制関係は、書く上で難しいと感じました。
安倍首相の苦労が、ほんのちょっぴり理解できました。

特に、転載されているBLOGOSの方は、ブロゴス側で付けてくれたタイトルが「"先制攻撃できない"対領空侵犯の法不備」だったせいもあって、私の主張が、”領空外でも問答無用で攻撃できるようにせよ”とでも言うモノであるかのような批判までありました。
せめて、記事はちゃんと読んでから批判してくれよとも思いましたが、読んだという人でも誤解されている方が多くいらっしゃいました。

なので、今回は、関連する国際法に触れつつ、もう少し分かりやすく説明したいとおもいます。
(どこまで分かりやすく出来るかは分かりませんが……)

前回の記事で、最も明快に誤解されていたのは、領空外での対処についてです。

この点で、誤解を受けた理由は、対比として、海保法第20条第2項に基づき、海保が領海外で不審船に対して機関砲を射撃した例を出したことによるものでした。

この例をあげる前に、
(ただし、”領海外”の部分は空では適用されない国際法の追跡権に基づくものなので、この部分を航空の世界では適用できません)
と書いてはいたのですが、考えて見れば、この表現で理解できた方は、国際法にかなり詳しい人だけだったでしょう。

海保法第20条第2項は、我が国の領海内において不法行為を行ったと思われる艦艇に対して、対処を行うための根拠規定ですが、この対処を行う際の位置については明示がありません。
実際、九州南西海域工作船事件における、船体射撃は、領海を出てから行われています。

これは、国連海洋法条約111条において、追跡権が定められているためです。
追跡権は、一言で言えば、領海内で不法行為を犯した船舶を、領海を出てからも追跡し、対処することが出来るとする権利です。

根拠が海洋法条約ですから、航空では通用しません。
航空の世界で国際法上、主権が及ぶのは領空内だけであるため、対領侵措置も領空内での対処しか命じていないのです。
確立された国際法に違反する国内法を作るなど、ナンセンスこの上ないのですが、そう読めてしまったのか、そう読める文だとして印象操作したいのか……
この点については、全く批判していなかったのですが、果たして読んで頂けたのか疑問でした。

もう一つ、大きく誤解(というより誤読)されていたのは、保護対象の問題です。
国際法上、保護対象については、海と空で激しく異なります。

海では、歴史的経緯のため、軍艦及び公用船は、非常に強く保護されています。
そのため、海保法20条でも、(軍艦及び各国政府が所有し又は運航する船舶であつて非商業的目的のみに使用されるものを除く。)とされており、公用船にたいしては、例え偵察などが行われていても、退去を求める事しか出来ません。
軍艦を攻撃することは、戦争行為なのです。

一方、漁船などの民間船は、違法操業などの不法行為を行っていれば、銃撃されても文句は言えません。
ロシアの領海(ロシア談)で、日本の漁船が時々銃撃を受けていますが、人道的な配慮がなされていない場合でもなければ、日本政府も遺憾の意を述べるだけで、抗議はしません。国際法的に認められた権利だからです。

海の上では、権利からすると軍艦・公用船>民間船なのです。
しかし、空では逆、民間機>軍用機なのです。

航空機の権利を定める国際法は、国際民間航空条約(通称シカゴ条約)です。
この条約によって、領空の主権、航空機の法的地位が定められていますが、そもそも名称が国際民間航空条約である通り、対象は民間機であって、軍用機は対象外です。

つまり、軍用機については、慣習法によっていることになりますが、誘導に従わない領空侵犯機に対しては、警告の上、撃墜することは、一般的に認められた権利となっています。
このため、昨年3月、トルコ領空を侵犯したシリア機が撃墜された事案についても、正当な権利の元での行為として非難はされていません。
激しくなる中国機の領空侵犯、撃墜できる法整備を」(JBPRESS140723)

なお、上記リンクの筆者、織田邦男氏は、元空将のパイロットです。(読みは、オダではなく、オリタ)

1983年に発生した大韓航空機撃墜事件を契機としてシカゴ条約が改正される前は、民間機に対してでさえ、撃墜が禁止されてはいませんでした。
改正後でも、大韓航空機撃墜事件の際に、ソ連が主張したような、民間機を使った(偽装した)スパイ行為の場合は、保護されないと解される内容になっています。

これがまた誤解を招くといけないのですが、民間機を撃墜しろなどと言っている訳ではありません。
空においては、主権国の権利が、海よりも遥かに強く認められているということです。

これは、空はそのまま陸の上にまで繋がっており、悪意を持ったものが、そのまま陸の上にまで侵入して危害を及ぼしうるからです。

ちなみに、領海内に入った他国の公船から、艦載機を発進させれば、艦船は無害航行とは認められませんし、発艦した航空機は、その時点で領空侵犯です。

こうした海と空における国際法上の差異を無視して、海上と同じような対処を行うとする考えは、妥当ではありませんし、権利はあるにも関わらず行使しないという、つい最近までの集団的自衛権に対する考え方と同じようなモノです。

空においては、軍用機に対しては、攻撃までを含めた十分な対処が国際法上認められています。
それは、行えるようにすべきなのです。

と書くと、また誤解というより、意図的にいちゃもんを付ける方が、必ず現れるのですが、攻撃まで含めた対処を行えるように法律を変える=攻撃を行うではありません。

法律上、可能とされた範囲を現場がマキシマムに行う訳ではなく、当然ながら、現場は、段階を踏んで実施します。

また、これらを行っても、9.11のような民間機テロには対処できません。
対領空侵犯措置とは別に、同様のテロに対しても、手段を講じる事ができる法整備が必要です。

また、一部の方は、自衛権に基づく防空戦闘と対領空侵犯措置を混同されている方もおりました。
これは、前回記事にも書いた通り、対領空侵犯措置は、空における警察による取り締まりだと言うことを理解して頂くしかありません。

防空識別圏(ADIZ)と領空を混同している方もいらっしゃいます。
そうした方は、過去記事を見て頂ければと思います。
参考過去記事:「防空識別圏(ADIZ)に関する誤解

主要な誤解について書いたつもりですが、この程度でちゃんと理解してもらうのは、難しいだろうと思ってます。
それどころか、この記事も、誤解されるんだろうなぁ。

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2015年5月31日 (日)

安保法制だけで終わらない防衛関係法制の不備

自衛隊OB同士で言い合うのは気が引けるのですが、問題の背景が透けて見えた事例だったので、取り上げてみます。

海自OBで、最近はテレビにも出演される軍事評論家の文谷数重氏が、対領侵について言及されています。
領空警備で先制攻撃って、なんかロックかも

記事が取り上げているツイートは、”自衛官のリスク”について発言しており、このツイートが安保法制論議に関連したモノだと分かります。
Photo
リンク

ツイートは、防衛関係法制について、問題が多いことの事例として、対領空侵犯(以下、”対領侵”と記述)措置での法不備を上げています。
これに対して、文谷氏が反論されています。

 要は、「領海外で相手が撃ってこないのに、射撃していいように法制を改めろ」と主張しているようにしか見えない。

 そもそも、スクランブル発進と領空侵犯は同義ではない。日本領空が侵犯されないための予防的措置である。予防措置で領空外で攻撃していいというような法制を作るのは、公海使用の自由、国際法態勢への挑戦でしかない。

 また、領空侵犯したからといって撃っていいわけでもない。国内的にも、国外敵も必要な段階を踏む必要がある。この手の意見には、国境を超えたから問答無用で攻撃して良い、撃ち落としてよいとする頭がある。だが、平時に緊張状態でもないのにそんなことはしない。そもそも、今までの領空侵犯例を見ても、落とさなければならないほどの必要性はない。


元ツイートも少々不正確ではあるのですが、この文谷氏の反論を見ると、対領侵の法不備について、ご存じないのだろうと思われます。

対領空侵犯措置は、国際法的には、警察権に基づく行為で、分かりやすく言えば、地上において、警察が行っている不法入国の取り締まりを、空において行っているものです。

地上では、警察の手に負えない場合は、治安出動により、自衛隊が警察の手助けをする仕組み(法律)が出来ています。

海においては、海上保安庁が取り締まりを行っており、手に負えない場合は、海上警備行動によって自衛隊が手助けする仕組み(法律)になっています。

そして、空においては、普段から自衛隊が行うことになっておりますが、必要な法律が欠落したままなのです。

陸上における治安出動は、完全に領域内の話なので、領域に入るかどうかのところで、同じような状況になる海上での警察権行使、特に主に海上自衛隊が実施する海上警備行動(以下、”海警行動”と記述)と比較してみましょう。
(ただし、国際法上、海上では無害通航権が認められていたり、逆に領域の外まで追跡権が認められているなど、海と空では、かなり違いがあります)

自衛隊法で、海警行動について記述した条文は2カ所あります。

一カ所は、行動について記述した第6章中の第82条です。

(海上における警備行動)
第八十二条  防衛大臣は、海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため特別の必要がある場合には、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊に海上において必要な行動をとることを命ずることができる。


もう一カ所は、権限について記述した第7章中の第93条です。

(海上における警備行動時の権限)
第九十三条  警察官職務執行法第七条 の規定は、第八十二条の規定により行動を命ぜられた自衛隊の自衛官の職務の執行について準用する。
2  海上保安庁法第十六条 、第十七条第一項及び第十八条の規定は、第八十二条の規定により行動を命ぜられた海上自衛隊の三等海曹以上の自衛官の職務の執行について準用する。
3  海上保安庁法第二十条第二項 の規定は、第八十二条の規定により行動を命ぜられた海上自衛隊の自衛官の職務の執行について準用する。この場合において、同法第二十条第二項 中「前項」とあるのは「第一項」と、「第十七条第一項」とあるのは「前項において準用する海上保安庁法第十七条第一項 」と、「海上保安官又は海上保安官補の職務」とあるのは「第八十二条の規定により行動を命ぜられた自衛隊の自衛官の職務」と、「海上保安庁長官」とあるのは「防衛大臣」と読み替えるものとする。
4  第八十九条第二項の規定は、第一項において準用する警察官職務執行法第七条 の規定により自衛官が武器を使用する場合及び前項において準用する海上保安庁法第二十条第二項 の規定により海上自衛隊の自衛官が武器を使用する場合について準用する。


では、次に対領侵について見てみましょう。
対領侵については、記述が1カ所しかありません。

行動について記述した第6章中の第84条です。

(領空侵犯に対する措置)
第八十四条  防衛大臣は、外国の航空機が国際法規又は航空法 (昭和二十七年法律第二百三十一号)その他の法令の規定に違反してわが国の領域の上空に侵入したときは、自衛隊の部隊に対し、これを着陸させ、又はわが国の領域の上空から退去させるため必要な措置を講じさせることができる。


海警行動に関しては、その
行動を行うことを第6章で規定し、その際の権限を第7章で規定しています。
それに対して、対領侵は、対領侵措置を行う事
自体は、第6章で規定していながら、その際の権限が定められていないのです。

この
第6章の規定で行動根拠を与え第7章の規定で権限根拠を与えるという条文の構造は、海警行動だけでなく、防衛出動など、あらゆる行動でこの構造が取られています。

ですが、対領侵だけが違うのです。

これに対して、政府(防衛省)の見解は、国会答弁等において、この第84条で規定されている”必要な措置”に武器の使用も含まれるという解釈をしており、防衛白書にさえ、次のように記載されています。
(ただし、一時は、政府もこの84条に武器使用は含まれないという見解を取っていたこともあります)
Photo_2

この法不備の原因は、自衛隊法成立時の日ソ関係にあったようです。
http://gunjihougaku.la.coocan.jp/ryousin6html.html

問題は、7章の権限規定の不備だけではありません。

対領侵における武器使用は、「領空侵犯に対する措置に関する訓令」及び「領空侵犯に対する措置に関する達」において、細部が規定されているとされていますが、内容は公開されていません。
ですが、基本的に正当防衛及び緊急避難に該当する場合のみと言われています。

その一方で、海上警備行動における武器使用では、文谷氏の言う「領海外で相手が撃ってこないのに、射撃していいように法制を改めろ」がなされた状態になっています。
(ただし、”領海外”の部分は空では適用されない国際法の追跡権に基づくものなので、この部分を航空の世界では適用できません)

根拠は、自衛隊法93条の海警行動時の権限を定めた条文で準用が規定されている海上保安庁法の第20条第2項です。

第二十条  海上保安官及び海上保安官補の武器の使用については、警察官職務執行法 (昭和二十三年法律第百三十六号)第七条 の規定を準用する。
○2  前項において準用する警察官職務執行法第七条 の規定により武器を使用する場合のほか、第十七条第一項の規定に基づき船舶の進行の停止を繰り返し命じても乗組員等がこれに応ぜずなお海上保安官又は海上保安官補の職務の執行に対して抵抗し、又は逃亡しようとする場合において、海上保安庁長官が当該船舶の外観、航海の態様、乗組員等の異常な挙動その他周囲の事情及びこれらに関連する情報から合理的に判断して次の各号のすべてに該当する事態であると認めたときは、海上保安官又は海上保安官補は、当該船舶の進行を停止させるために他に手段がないと信ずるに足りる相当な理由のあるときには、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。
一  当該船舶が、外国船舶(軍艦及び各国政府が所有し又は運航する船舶であつて非商業的目的のみに使用されるものを除く。)と思料される船舶であつて、かつ、海洋法に関する国際連合条約第十九条に定めるところによる無害通航でない航行を我が国の内水又は領海において現に行つていると認められること(当該航行に正当な理由がある場合を除く。)。
二  当該航行を放置すればこれが将来において繰り返し行われる蓋然性があると認められること。
三  当該航行が我が国の領域内において死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に当たる凶悪な罪(以下「重大凶悪犯罪」という。)を犯すのに必要な準備のため行われているのではないかとの疑いを払拭することができないと認められること。
四  当該船舶の進行を停止させて立入検査をすることにより知り得べき情報に基づいて適確な措置を尽くすのでなければ将来における重大凶悪犯罪の発生を未然に防止することができないと認められること。


この規定により、ただ逃走を続けるだけで、攻撃をしてこない船舶に対して射撃を行えるようになっています。

この規定は、1999年に発生した能登半島沖不審船事件において、逃走を続ける不審船に対して、警告射撃しかできず、結果的に逃走を許してしまった事の反省として規定されました。

海保法の改正によって、この規定が加えられたのは、2001年11月でした。
そして、そのわずか1ヶ月後、九州南西海域工作船事件が発生します。

この時は、この規定に基づき、逃走を続けるだけの不審船に対して、海保の巡視船が機関砲による船体射撃を行っています。

海警行動時は、この規定が準用されるため、海上においては、相手から攻撃を受けなくても、つまり正当防衛や緊急避難に当たらなくても、人を殺傷しても全くおかしくない攻撃が可能となっています。

不審船事件は、この後パッタリとなりを潜めます。
この海保法の改正によって、北朝鮮が不審船での工作活動を諦めたのだと思われますが、そうした規定が不備のまま残されている空においては、不審な航空機が飛来しても、法の不備により国民が死ぬような事態になりかねません。

なお、ほぼ余談ですが、文谷氏は、次のようにも述べています。

 だいたい、日本のスクランブルで、相手に撃ち落とされるような危険性があるのだろうか? 対象はたいていは大型機であって、まず戦闘機を落とす力はない。しかも、翼下に兵装を吊っていない戦闘を意図していない状態での飛行がほとんどである。

日本周辺で良く見られる大型機ですと、ベアとバジャーですが、機体によっては、こんなのが付いてたりします。
ベア(wikipediaより)
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バジャー&H-6
(wikipediaより)
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その場合、当然近寄らないようにするのですが、基本的には速度を合せて飛ぶ(見かけ上止っている)
ため、もし撃ってくれば、非常に危険です。

自衛隊関係者でも、対領侵法制の不備をご存じない方がいらっしゃるようですが、この問題が、いつまでも解決されない理由の一端は、この点にあるのかもしれません。

空自だけが問題意識を持っても、ダメなんでしょう。

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2015年2月28日 (土)

安倍政権がシビリアンコントロールを廃止?

防衛省、背広組優位を転換 「文官統制」規定廃止へ」(47ニュース150221)

共同通信が、文官統制が廃止されると報じ、すわシビリアンコントロールの危機として、一部メディアが追従しています。
「文官統制」規定を全廃へ」(沖縄タイムス150221)
「文官統制」廃止へ法案 制服組、立場対等に」(東京新聞150221)
防衛省 「文官統制」規定廃止へ 制服組チェック機能低下」(西日本新聞150222)

大手以外では、こんなのもあります。
発覚:防衛省「文官統制」(シビリアン・コントロール)規定廃止へ」(Credo150223)

実際には、文官統制と文民統制は別物です。

共同は、恐らく内容を理解しつつも、読者による誤読を誘う書き方をしています。
追従した報道も、安倍政権を貶めるために、多くは同じ姿勢ですが、最後のリンクのように、誤読から誤解に至り、誤報をしてしまっているものさえあります。

実際に、かなりの誤読が発生しているようです。
【ミスリードに要注意!!】防衛省が「文民統制」ではなく「文官統制」の撤廃【ややこし過ぎ】
【悲報】文官統制廃止 軍国主義復活へ

東京新聞は、続報の解説において、文官統制は文民統制の一部だとして、やはりシビリアンコントロールが危機に瀕していると理解されるような書き方をしています。
中谷氏会見 文官統制「軍部暴走の反省でない」

<文官統制> 政治が軍事より優先されるという、民主主義国家の基本原則「文民統制(シビリアンコントロール)」の一環。防衛省設置法の規定では、背広組の文官を制服組自衛官より優越した立場に置くことで、防衛省内の文民統制を補強する役割を果たしている。憲法では、首相や閣僚は文民でなければならないことを明記。国の防衛に関する事務は内閣の行政権に属し、国会が防衛出動の承認などの権限を持っている。


一方で、文官統制の廃止が、内局にあった運用企画局が廃止されたことと以下にしか認識できない方もいます。
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大手4紙は、さすがにこれはマズイと思ったのか、この共同・東京新聞の論調には追従していません。
朝日なども報じてはいますが、”文官統制廃止=シビリアンコントロールの危機”とはしていません。
元陸将の志方教授と懸念派のコメントを両論併記で書くなど、スタンスについては、かなり気を使っている感じさえします。
制服組、増す影響力 揺らぐ「文官統制」 防衛省設置法改正案」(朝日150224)

 「文官統制」の象徴だった防衛省設置法12条の改正に同省が乗り出した。防衛省は、自衛隊の効率化や意思決定の迅速化などを理由に掲げるが、制服組(陸海空の自衛官)の影響力は増大する。背広組(文官の防衛省職員)の影響力低下で、現場の自衛官の暴走が万一にもないのか。チェック態勢の確保に加え、防衛相の責任が一層問われる。


しかし、これらを読み比べても、この「文官統制」が、日本の安全保障に、今までどのような悪影響を及ぼしてきたのか、廃止でどう変わるのか、そしてシビリアンコントロールに悪影響はないのかは、ほとんど分からないと思います。

”気になるニュースをわかりやすく”という触れ込みで、なかなか面白い記事を載せているネットニュースのTHE PAGEは、これに回答しようと解説記事を載せていますが、残念な事に、内容は間違っています。(執筆は美根慶樹氏)
<防衛省設置法>背広組と制服組を対等に 「文民統制」と「文官統制」の違いは?」(THE PAGE150226)

ですので、以下では、極力分かりやすく解説を試みてみます。

「文官統制の廃止」と呼ばれているのは、防衛省設置法12条の改正です。
一応、下に現在の条文を載せますが、先に解説します。
一言で言えば、
制服組の行動のほぼ全てにおいて、官房長及び局長(つまり背広組・文官)が、実質的に指揮をするということです。
そのため、文官統制と呼ばれます。

(官房長及び局長と幕僚長との関係)
第十二条  官房長及び局長は、その所掌事務に関し、次の事項について防衛大臣を補佐するものとする。
一  陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関する各般の方針及び基本的な実施計画の作成について防衛大臣の行う統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長(以下「幕僚長」という。)に対する指示
二  陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関する事項に関して幕僚長の作成した方針及び基本的な実施計画について防衛大臣の行う承認
三  陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関し防衛大臣の行う一般的監督


この条文で、なぜ実質的には指揮になってしまうのかが焦点です。

表に出てきているものが少ないのですが、目に見える形としては、事務次官通達が上げられます。
記憶にあるのは、あの悪名高い民主党政権下で出されたものでしょう。
今問題の防衛省事務次官通達(全文)

この通達については、民主党所属の防衛大臣の指示を受けてのことでしょうが、事務次官通達ですから、発簡にあたり、防衛大臣の決裁を受ける必要はありません。事務次官の裁量で、制服組に対して通達を出せるということです。
そのため、防衛大臣が出した命令に対して、その細部を示すという建前で事務次官通達等を発出し、防衛大臣の命令を、骨抜きにすることだって可能ですし、方向性を変える事も可能です。

そして、目に見えず、もっと恐ろしいのは、一番害のなさそうな12条の三を根拠として行われる、背広組による制服組人事への介入です。
社会に出て、何らかの組織に属した事がある人なら、言わずもがなですが、最強の強制力は人事権です。

現状では、背広組は、気に入らない制服組を排除し、背広組に逆らわない人間だけを制服組の上層部に就けることができます。
そのため、制服自衛官でも、政治力、つまり背広組と巧くやって行く能力がないと、高級幹部にはなれないと言われてきました。

実例としては、香田洋二自衛艦隊司令官の海幕長就任を、守屋防衛事務次官が阻止した事例などが有名です。

結果的に、制服組は、背広組の意向に従わざるを得ない構図が作られていました。

これによって生じる問題として、もっとも広範はものは、防衛大臣に必要な情報が入らなくなることです。
特に、現場感覚のある制服組からの情報で、背広組の意向に反するモノは、報告する場さえ与えてもらえません。
どうしても、報告(直訴)したい場合は、首を切られる覚悟で報告する必要があります。
そのためそうした報告ができるのは、もうその先がない統合幕僚長か、陸海空幕僚長だけです。(統合幕僚長は、実質的に陸海空の持ち回りなので、陸海空各幕僚長は、順番がめぐってくるタイミングが合わなければ、それ以上がないことは確定です)

朝日系のメディアGLOBEに書かれている事例も、そうした確信犯的直訴の事例です。
模索続くシビリアンコントロール 役割増す自衛隊、「統制」の担い手は」(GLOBE150223)

防衛省昇格前の04年6月。防衛庁長官だった石破のもとに設置された「防衛力のあり方検討会議」で、内局トップの事務次官守屋武昌と海上自衛隊トップの海上幕僚長古庄幸一がにらみ合っていた。
「統合作戦のあり方として問題点をまとめた資料がある。配ってもよいか」。古庄がおもむろに取り出した紙には、「防衛参事官制度」や防衛事務次官の権限を見直すべきだとの提言が書かれていた。
従来、制服組が直接、大臣に提言などを「直訴」することはなかった。制服組には積年の不満がくすぶっており、確信犯的に古庄が打って出たのだ。


また、多くの政治家は、制服組や、長年知識を積み上げた背広組に比べると、防衛関係知識が乏しいです。
そのため、守屋元事務次官のように、大臣をいいように丸め込み、勝手に振る舞う人間も出てきます。

前掲朝日の記事にもあるとおり、この件をまな板に載せられたのも、防衛大臣が制服自衛官経験さえある中谷大臣だからでしょう。

より細かく見れば、この文官統制は、シビリアンコントロールにとってマイナスでさえあります。
前掲THE PAGEの記事では「civilian」の訳語は、文官の方が適切であり、シビリアンコントロールは文官によって成されるべきだとしています。

 日本におけるシビリアンコントロールは「文民統制」と呼ばれています。「文民」は、新憲法制定の際、日本には「civilian」に該当する言葉がなかったので、新たに使われた訳語です。

 しかし、軍を統制する主体は、総理大臣や国務大臣、また内局の背広組と、すべて公務員であり、いずれも民間人ではありません。そのため、「文民」より「文官」のほうが用語として適切であるとして、「文官統制」という言葉が使われるようになりました。そして、日本では「文民統制(政府による統制)」と「文官統制(背広組らが政府を支える統制)」を区別する傾向もありますが、それは本質的な区別ではありません。趣旨はどちらも「軍人でない公務員による統制」と解すべきであり、英語ではシビリアンコントロール(civilian control)しか使いません。


ですが、日本国憲法を作り、シビリアンコントロールがされているはずのアメリカでは、日本の内局にあたる国防総省内に多数の制服軍人が勤務しています。
日本でも、内局に制服自衛官を配置することが検討されたこともあります。
つまり、文官のポジションに制服自衛官・制服軍人が配置されたとしても、シビリアンコントロールは維持されます。

では、何がシビリアンコントロールの根幹かと言えば、選挙で選ばれた市民である総理大臣が、自衛隊を指揮することです。

ですが、前述したとおり、総理大臣、防衛大臣が自衛隊を指揮する際、内局から横やりが入る状態になってしまっています。
また、制服組と背広組の仲が悪いこともあり、制服組から大臣への報告が、背広組によってシャットアウトされたり、歪曲されたりすることが多く発生します。

結果、選挙で選ばれた総理大臣や防衛大臣が、思った通りに自衛隊を動かせないという事態が生じています。
これこそ、むしろ文官統制が行われてる現状こそ、シビリアンコントロールの危機です。
前掲朝日の記事でも、このことは示唆されています。

 見直しを求めてきたのは、自衛官出身の中谷元・防衛相や自民党国防族の石破茂・元防衛相らだった。議員らは、2008年にイージス艦「あたご」と漁船の衝突事故で、現場から防衛相に報告が上がるまで、約1時間40分かかった例を挙げる。内局の複数の部署のやりとりに時間を取られたためだ。

 中谷氏は著書で「オペレーション(部隊運用)と訓練は、各幕僚長や統合幕僚長が直接、大臣・官邸・総理に連絡し、指示をもらうことを徹底すべきだ」と主張していた。


12条の改正案は、まだ明確になっていませんが、報じられている方向では改正されれば、統合幕僚長や陸海空幕僚長は、直接防衛大臣に報告し、命令や指示を受けられるようになるでしょうし、内局・背広組が制服組に指示的事項を行おうとするならば、防衛大臣名での文書を作ることになり、決裁はあくまで大臣が行う事になります。

12条の改正で、幕僚統制の一種でもある文官統制が廃止されれば、日本の文民統制(シビリアンコントロール)は、むしろ強化されるはずです。

なお、文官統制と言う言葉は、以前から使用されていましたが、今回のように文民統制と関係したもののようには使われていませんでした。
ネットでの検索でも、昨年以前の更新に限定して検索すれば、もともとは、制服サイドに立つ論調の方が、背広組を批判して使用していた語であることがわかるはずです。
言葉の意味を置き換える、プロパガンダの一種と言えそうです。

余談ですが、この文官統制の弊害については、あまり公にされていないある事件(事案)が発生したことがあります。
小説のネタとしても面白いので、そのうちに、小説として書くかも知れません。
関係者が高齢になりつつあるので、早めに取材したいところなんですが……

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2014年5月11日 (日)

集団的自衛権が難解な理由

このブログと同じようにBLOGOSに転載されている木村正人氏のブログで、集団的自衛権問題は難しすぎ、国民に説明し、問うことは止めた方がよいと言っています。
集団的自衛権の論じ方 日本国憲法が禁じることは?

筆者は「集団的自衛権」を公論に付すことが政治的に賢明とは思えない。そんな実務的なことは内閣法制局か防衛省の官僚、安全保障の学者に任せておけばいいと思う。


確かに、発動要件が云々で、必要性と均衡性がどうのこうのと言い始めれば、法学を学んだ人でも無い限り、とてもついて行けません。
しかも、殊に防衛がらみの憲法論議は、法的に整合の取れたその他の国内法と異なり、政治的要求が法解釈を曲げてきた長い積み重ねの上に成り立って(統治行為論なんてその典型)いるので、まともに法律として理解しようとしても、やはり混乱します。

ですが、本来の集団的自衛権は、そんな難しいものではないため、簡単に短く、「集団的自衛権とは?」について書きたいと思います。

国ではなく個人の場合、現代では治安は国家権力によって維持されているため、自衛の権利は、正当防衛の場合などに制限されています。
ですが、国家間では、各国家を規制するだけの権力が存在しないため、それぞれの国家が、自国の生存を守るため、自衛する権利(自衛権)を認められています。

そしてこの自衛権には、個別的自衛権と集団的自衛権にあります。

個別的自衛権は、自国に対する攻撃に対抗する権利であり、まさに”自衛”する権利です。

これ対して、集団的自衛権は、国会答弁での定義は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利」とされています。
参考国会答弁

しかし、この定義に違和感を抱いた人もいるでしょう。
それはナゼか?、と言えば、この定義を更に単純にすれば、”外国への攻撃を阻止する”権利であって、ちっとも”自衛の権利ではない”からでしょう。

しかし、これがナゼ自衛の権利とされているかと言えば、集団的自衛権は、この権利を”お互いに行使する”ことで自衛行動が行われるからです。

つまり、集団的自衛権は、本質的に”相互主義に基づかなければ自衛に成り得ない”のです。

集団的自衛権に基づく組織としては、NATOや旧ワルシャワ条約機構が有名ですが、NATOを組織するための北大西洋条約は、”いずれかの国が攻撃された場合、共同で応戦・参戦”する事を定めており、加盟国は、防衛される権利を得るかわりに、当然の事として、他の加盟国を防衛する義務を課されています。

(日本において)集団的自衛権が分かり難いのは、日本が関係する集団的自衛権に絡む条約が、本来の集団的自衛権とは本質的に異なる片務的な日米安保であり、日本人が集団的自衛権を考える際、日米安保を念頭に理解しようとしているからです。
言い変えれば、例外を前提として、一般論を理解しようとするためです。

この影響で、現在の集団的自衛権論議は、アメリカに向かう弾道弾を日本が迎撃することが議論となっているとおり、自衛権の問題でありながら、権利ではなく、義務が問題になっているために、分かりにくくなっています。

この権利と義務をしっかり切り分けて考えれば、かなり分かりやすくなるのではないでしょうか。

安倍政権が進める集団的自衛権の解釈変更の本質は、日米安保を、実質的に集団的自衛権本来の相互主義的なモノに変えることにあります。

個人的に、解釈論で進める事には意義がありますが、日米安全保障を、果たして本当に機能するのか怪しい片務的な集団的安全保障ではなく、本来の相互主義的な集団的安全保障に変えることには賛成です。
これを行わなければ、尖閣、そして沖縄の危機にアメリカの助力が行われない危険性があることは、前回記事で書いたとおりです。
集団的自衛権問題は、ナゼ今なのか_その背景

なお、これは推測と言うよりも憶測ですが、現在の集団的自衛権行使容認の先には、アメリカからの日米安全保障条約の双務化に向けた改訂要求があるのではないかと思っています。

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2014年5月 7日 (水)

集団的自衛権問題は、ナゼ今なのか_その背景

集団的自衛権の憲法解釈変更を、安倍政権の悲願と見る方は多いでしょう。

しかし、私はこの問題が政治・軍事的にしっかりとした背景がある、言い換えれば時代の要求が元になっている問題であり、例え安倍政権でなくとも懸案となったと思っています。

野田政権下での国家戦略会議フロンティア分科会が集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ提言を行った事からも、この背景の存在を伺うことができますが、以下では、政治的、軍事的背景について、具体的に触れたいと思います。

政治的背景の一つは、アメリカ世論の動向です。
昨年、日本でも論客として知られるパット・ブキャナン氏が、ショッキングなタイトルのコラムを発表しています。
Are the Senkakus Worth a War?」(尖閣諸島は戦争をするに値するか?)

ブキャナン氏は、大統領選挙にも2度も出馬した経歴があります。しかも共和党からです。
その人物が、尖閣防衛のためにアメリカが戦争に巻き込まれる事に対して、懸念を示していることは、日本にとって危険な兆候です。

もともとリベラルな論調で知られるニューヨークタイムズは、次のような記事を載せています。
Mr. Abe's Dangerous Revisionism

Mr. Abe, however, seems oblivious to this reality and to the interests of the United States, which is committed to defend Japan by treaty obligation and does not want to be dragged into a conflict between China and Japan.

安倍首相は、アメリカの国益を考慮していないようです。アメリカは、条約上の義務によって日本の防衛にコミットすることで、日中間の争いに巻き込まれたくないにも関わらず。


また日本でも、外務省がアメリカで実施した世論調査の結果を報じた朝日新聞記事が、尖閣諸島をめぐる日中対立に巻き込まれる事を懸念したからではないかと分析しています。
米世論「日米安保を維持」急減 「重要パートナー」中国に抜かれる 外務省調査」(朝日新聞13年12月20日)

このようなアメリカ世論の変化は、中国の隆盛とアメリカの疲弊から、モンロー主義的な傾向になっていると言えるでしょうが、重要なことは、アメリカの世論が日米安保条約を負担と感じ、日中間の争いに巻き込まれたくないと考えている事です。

先日の来日に際し、オバマ大統領は、尖閣は日米安保条約の対象になっていると言いましたが、日本と同様に民主主義国である以上、いざ事が起こった時にアメリカ世論が対日支援に反対すれば、大統領としてもそれを無視することは出来ません。

このような状況がありながら、オバマ大統領が日本に言質を与えた理由には、もう一つの政治的背景があります。
それは、日韓関係の悪化です。

極東において、蓋然性の高い軍事衝突の可能性は、尖閣をめぐる日中対立の他に、韓国・北朝鮮間における半島危機があります。

半島危機が起これば、アメリカは韓国を支援し、在日米軍基地は、重要な拠点となります。航空機は、日本国内の基地から直接作戦行動に出るでしょうし、艦船の補給基地は日本です。
そして、日本は周辺事態法を適用して、アメリカを”後方”支援することを求められます。
しかし、後方とは言え、これは北朝鮮としては、国際法的に見れば、立派な戦争当事国としての戦争行為でしょう。
主張の是非は別として、日本に対して反撃する権利があると主張し、ノドンを打ち込むことは確実です。

その時、既に相当悪化している日本の対韓国世論は、核弾頭やダーティボム、それに化学兵器を搭載したノドンを打ち込まれるリスクを犯しても、韓国のためにアメリカを支援することを認めるでしょうか?
日本がアメリカの支援を行わない場合、日米関係は絶望的に悪化しますが、それでも韓国のためにノドンを打ち込まれる事を承服するかどうかは、かなり怪しい状況にあると思います。

(日本が、それを恐れて周辺事態法適用で行う物資役務の提供だけでなく、米軍基地への電気・水の提供などを拒否すれば、基地機能は早晩麻痺します)

アメリカとしては、尖閣には巻き込まれたくないものの、半島危機における日本の支援は欲しい。
一方、日本としては、逆に半島危機には巻き込まれたくないものの、尖閣ではアメリカの支援が欲しい。

双方の思惑は、立場が逆ですが、図式は同じです。
しかし、義務は同じではありません。アメリカには日本防衛の義務がありますが、日本にはアメリカ支援の義務はありません。

アメリカ政府としては、半島危機が勃発した時に、義務を負わない日本の世論に不安を感じているでしょう。
日本政府としては、尖閣危機が勃発した時に、このアンバランスを、アメリカの世論がアンフェアだと言うことに不安を感じているはずです。

この相反した状況は、日米の間で、双方にとって利益となりうる取引ができる状況と言えますが、条約上の義務を負っているアメリカにとっては、不平等条約を押しつけられていると感じているかもしれません。

それだけに、この集団的自衛権問題が、安倍政権のみならず、民主党政権下から懸案となっている状況を見ると、その背後には、集団的自衛権を行使し、半島危機においてアメリカを支援することを担保させようとするアメリカからの圧力があるように思えてなりません。
この事は、集団的自衛権行使について、防衛省よりも外務省が積極的だと言われ、内閣法制局と戦っているのも外務省である点からも感じられます。

オバマ大統領の言質の裏には、集団的自衛権行使を容認する事との裏取引があるのではないかと思われますが、それが語られることはないでしょう。

そして、このアメリカからの圧力については、軍事的な背景もあります。
それは、北朝鮮による弾道ミサイル開発です。

先日も、北朝鮮が移動式ランチャーに搭載でき、アメリカを直接攻撃することが可能な、実戦的な大陸間弾道ミサイルになると見られているKN-08の試験が行われているとの情報が報じられています。
ミサイル燃焼試験実施か=新発射台建設の恐れも-北朝鮮」(時事通信14年5月2日)

アメリカは、積極的に攻勢作戦を行う国ですが、それは自国への攻撃を恐れる事の裏返しでもあります。
歴史的にも、キューバ危機などは、アメリカが本土への弾道ミサイル攻撃を恐れている事例ですし、弾道ミサイルに限らなければ、太平洋戦争中の日本海軍による西海岸への攻撃に対する過敏な反応を見れば、アメリカが米本土への攻撃を恐れていることは明かです。

ちなみに、この大戦中のアメリカ国民の恐慌を、コメディ映画としたため、保守派の映画関係者からも批判を浴びたのがスピルバーグの『1941』です。
この『1941』ですが、ただのコメディだと思っている方が多いでしょうが、ウィキペディアにも記載があるとおり、史実がモチーフになっています。
1941」(wiki)

本作のモチーフとなったのは、イ17によるカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所攻撃や、イ26によるカナダのバンクーバー島攻撃など、太平洋戦争中に遂行された日本海軍潜水艦による一連のアメリカ本土砲撃、そして日本軍の攻撃に対するアメリカ人の恐怖が引き起こしたロサンゼルスの戦いである。また1943年のズートスーツ暴動(英語版)もモチーフの1つとされる。


特に、「ロサンゼルスの戦い」などは、アメリカ人の恐慌に近い精神が引き起こした事件であり、その報道によって、全米をパニックに陥れた事実を考えれば、北朝鮮の弾道ミサイルが、日本人が考える以上に、アメリカ人にとって恐怖であることは、理解した方が良いと思います。
ロサンゼルスの戦い」(wiki)

話を、北朝鮮による弾道ミサイル開発に戻しますが、この弾道ミサイルからアメリカ本土を防衛するためには、アメリカは日本の支援を必要としています。

既に、青森県車力に配備され、京都の経ヶ岬にも配備が予定されているFBX-T(AN/TPY-2)は、北朝鮮の弾道ミサイルの監視用です。
参考過去記事
コレが車力のFBX-Tサイトだ!
Xバンドレーダーを経ヶ岬に追加配備

そして、それ以上に重要なのは、迎撃手段となるイージス艦搭載SM-3であり、今回の集団的自衛権行使容認で、もっとも焦点ともなっている4類型の一つ、公海上における米軍艦艇の防護です。

イージスは、元来艦隊防空用のシステムであり、弾道ミサイル迎撃を行っても、その対空戦闘能力に問題はないとする人もいますが、以前にもブログで取り上げた通り、弾道ミサイル防衛実施中は、その対空戦闘能力は、かなり低下します。
そのため、2012年の北朝鮮による弾道ミサイル騒ぎの際には、対処に備えた日本のイージス艦に対して、F-15に特別の命令を発して、イージス艦を護衛しています。
既に、ネットからは記事が消えていますが、読売新聞は、次のように報じました。

イージス艦はミサイルを探知、追尾する際、レーダーをミサイルに集中させるため、周辺状況を把握できず、一種の「無防備状態」に置かれる。


参考過去記事
対艦弾道ミサイルは無意味ではない
対艦弾道ミサイルの可能性について補足

北朝鮮からの発射される弾道ミサイルの経路は、米本土を狙うなら沿海州から、シベリア東部上空を経て、アラスカ・北極海を通過します。
アメリカは、これに備えるために、アラスカにGBIを配備していますが、それ以前に対処するとしたら、イージスSM-3を日本近海に配備するしかありません。
SM-3の性能だけを考えるならば、イージスはオホーツク海に入れた方が良いのかもしれませんが、ロシアがそれを容認する可能性はないでしょう。

SM-3によるICBM迎撃には、性能の上で限界もありますが、ブロックIIBでは十分に可能になるはずですし、2018年から配備される予定のブロックIIAは、限定的なICBM対処能力を付与されており、ブースト段階のICBMを迎撃できる予定であるため、まさに日本海から発射するために最適のミサイルとなっています。

しかし、イージスでICBM迎撃を行うためには、前述のように防御力の低下が否めないため、海自護衛艦あるいは空自戦闘機による護衛が必要という訳です。

以上のように、今集団的自衛権行使容認が問題の背後には、日本としては、尖閣危機に対するアメリカの支援を得るためのアメリカの世論対策、アメリカとしては、朝鮮半島危機に対する日本の支援が必要という政治的・軍事的な背景があります。

日米交渉の内幕は分かりませんが、恐らく民主党政権当時から、アメリカからは圧力がかかっていた可能性が高いと思われます。

アメリカの圧力を受けることに関して反発を感じる方もいるでしょうが、尖閣を”戦争をすることなく”防衛するためにはアメリカのコミットメントは必須です。

もし、戦闘が起きるとしても、無人の尖閣周辺だけでの戦闘であれば、死傷者は自衛官や警察官、海上保安官に限られます。
もし、尖閣を明け渡し、その後の中国による沖縄への侵攻で抵抗するならば、沖縄を再び戦果に巻き込むことになります。

集団的自衛権を行使することになれば、確かに反対派が言うとおり、朝鮮半島危機では日本は戦闘に巻き込まれる可能性が高まります。
しかし、尖閣危機でアメリカを巻き込む事で、沖縄を再び見捨てないためには、負わなければならない代償です。

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2013年2月19日 (火)

反撃が違法行為である主張についての防衛・法律専門家の見解

レーダー照射に対する反撃は違法行為」については、内容が衝撃的であることもあって、転載されたBLOGOSの方でも注目されました。
しかし、何十年も前から変わっていない明文化された法律について、実情を書いたら衝撃的だという事実は、別の意味で衝撃的ですが……

さて、その衝撃を感想一言で書けば「ホントか?」だっただろうと思います。
BLOGOSの方に頂いたコメントには、屁理屈ではないかというものもありました。

私はいい加減な事を書いた訳ではありません。
しかし、ただの元幹部自衛官というだけでは、その見解が信じられない事は、理解できます。
自衛官として、防衛関係法の講義を受けた私の所感も同じようなものでしたし……

なので、今回は前掲リンク記事内容の権威付けを行ないたいと思います。

ただの幹部自衛官の言が信じられなくても、同種の見解が、他の防衛関係者や法律の専門家からも示されていれば、納得せざるを得ないでしょう。
そして、今や膨大な情報が溢れるネットには、そんな情報もちゃんとあるのです。
絹笠泰男の防衛・軍事法学論集

使われているイラストが、ちょ~と胡散臭い
<m(__)m>(先生申し訳ありません)
事と、レイアウトが美しくない
<m(__)m>(先生申し訳ありません)
ため、何気なく覗いた方は、怪しげなサイトとして無視してしまいがちなHPですが、このサイトを運営している絹笠泰男氏は、現時点において、間違いなく日本随一の防衛関係法学者です。
そして恐らく、絹笠氏を越える人も、当分は現れないのではないかと思います。

絹笠氏は、旧陸軍特別幹部候補生第1期生(陸軍伍長)にして、戦後は航空自衛隊幹部として勤務され、最後は2等空佐として定年退官された防衛の専門家です。
かつ、自衛隊定年後に裁判官を勤められた法律の専門家でもあります。
ご尊顔は、某3佐の手によるという肖像画像そっくりです。
Jigazou
前掲HPより

絹笠氏は、現役時代も航空自衛隊幹部学校で防衛関係法の教鞭を取っただけでなく、定年退官も統合幕僚学校等で部外講師として教鞭を取りました。
そのため、私を含め絹笠氏の薫陶を受けた自衛官は多数に及びます。
防衛と法律の双方に、これほど高い見識を持った人物は他にいないでしょう。

当ブログに書かれている防衛法関係知識は、ほぼ絹笠先生の教えによるものと考えて頂いて差し支えありません。差異がある部分は、私の不勉強と状況の変化によってアップデートが必要と考えられた部分です。
先生の講義は、非常にワクワクさせられる内容で、目を皿にして、耳をダンボにして聞いた事を覚えています。(多くの同僚は、睡魔と絶望的な戦いを強いられていましたが……)

絹笠氏のHPには、95条の武器等防護のための武器使用に関する内容は少ないですが、武器の使用権限に関しては、領空侵犯措置法講義の内容が、対領侵においては自衛隊法第7章に権限規程がない事によってかなり差異がありますが、参考になるでしょう。
少なくとも、正当防衛が自衛隊部隊の権限であるのか、私人としての権利であるのか等は記載があります。正当防衛を根拠とした武器使用を論外とする理由は、理解して頂けると思います。

絹笠氏のHPを見れば、私の見解が、一幹部自衛官の屁理屈では無いことは分かって頂けると思います。

ただし、法律に関しては、正確に書けば難解になり、分かりやすく書けば不正確になるというテーゼがあります。
絹笠氏のHPは、分かりやすく書くことを放棄してはいないものの、正確に書くことを貫いておられるので、正直言って当ブログで分かり難いと思った方は、絹笠氏のHPは、なおのこと難解です。

しかし、自衛隊の行動権限について興味のある方は、少なくても前掲の領空侵犯措置法講義はお読み頂いた方がいいと思います。
対領空侵犯措置が、如何に危うい法的裏付けの元に行なわれているのか、良く分かるでしょう。
これは、私が以前の記事「自衛隊法の不備「領域警備」について法改正の動き!」で、別の機会にと書いたままサボっている項目でもあります。

また、95条の武器等防護のための武器使用及び96条の施設警護のための武器使用は、平時における基地警備(96条)と基地外行動における部隊の警備(95条)において、唯一使用可能な権限(対領侵を除く)についての規程なので、地味ながら、自衛隊では割と研究されている条文であることを付記しておきます。
海警行動を含む行動任務が発令されていない状況においては、海自艦艇においても95条が唯一の武器使用権限規程条項です。

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