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2014年6月14日 (土)

民主主義を信じない田原総一郎氏

ジャーナリストの田原総一郎氏は、朝日新聞にはリアリティがないと認めながら、存在意義があると言っています。

リアリティがない朝日新聞や毎日新聞、それでも存在意義があるこれだけの理由

「朝日新聞」の報道は、一貫している。たとえば、「集団的自衛権を行使できるようになる」ことを、「戦争をする」と報じる。「首相の靖国神社参拝」については、「軍国主義賛美」だから「反対だ」と論じている。

それでも各社が立場を鮮明にして、報道することは健全なことだ、というのが僕の考えだ。とはいえ、「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」のこうした報道姿勢が、日に日にリアリティを失っていることもまた事実である。

だが、「けれど」と思うことがある。僕たち戦争を知っている世代は、国家が平気でウソをつくのを目の当たりにしてきた。戦争に負けた瞬間、コロっと態度を変える大人たちを見てきたのだ。そのような経験をしてきた僕たちにとって、「国を信用」するのは非常に難しいことだ。

ほとんどが戦争を知らない世代になってしまった。僕ら戦争を知っている世代は少数派になった。だからこそ僕たちは、意地でもその記憶を忘れてはならないし、声を大にして言い続けなければならない、と思っている。


後半は、ちょっと前まで非常に良く目にした展開です。
自己の体験に根ざした感情的インパクトのある説得ですが、同じ体験を持っていない人間にとっては、21世紀の現代においても、まだ19世紀、1863年以前の世界に生きているように見えなくもありません。

彼の認識の中では、「国・国家」は、今現在も、あくまで「僕たち」との対立軸であるようです。
リンカーンは、1863年ゲティスバーグ演説で「人民の人民による人民のための政治」と言いましたが、この言葉の冒頭に「人民の」とあるように、民主主義国家においては、「国・国家」は、国民(人民)のものであり、「僕たち」との対立軸ではなく、「僕たち」がコントロールできるもの、あるいはコントロールすべきものです。

ちなみに、wikiにも記述がありますが、このゲティスバーグ演説の精神は、マッカーサーにより、現日本国憲法にも織り込まれています。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

日本国憲法前文

ですから、「僕たち」が「国・国家」をコントロールし、「国を信用」するのではなく、国を思うとおりに動かさなければなりません。

憲法にも次の通りに規定されています。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


民主主義は、政治の結果を、政府や大臣の責任にすることはできないはずです。
会社で言えば、社員全員が経営者となっている状態であり、全員が経営参画ができる反面、経営責任も全員で(等しくではないですが)負わなければなりません。

この民主主義に対する考え方が、私と田原氏では決定的に違うのでしょう。

冒頭のリンク記事は、集団的自衛権の行使容認に向けた議論についての記事ですが、次の主張も同じ考えの元に発せられています。

安倍首相が戦争をしたがっている、とは僕ももちろん思わない。けれども、「戦争ができる国」に日本がなる、ということは事実だ。将来、日本のリーダーになった人物が、戦争をしないとは、保証できない。


田原氏の主張を一言で表現するなら、『「国家」を信じることはできない』なのでしょう。
しかし、彼が本当に信じていないのは、「国家」ではなく、「国民」あるいは「国民の不断の努力」であり、あるいは民主主義なのかもしれません。

彼が、国民を愚民だと考えているのかは分かりませんが、もし将来において、戦争をしたがるリーダー(そもそもそんな人が出てくるとは思いませんが)を、国民が止めることはできないと考えているようです。

私は、このような考え方は、民主主義国家に生きる私たちにとって、甘えでしかないように思います。
憲法の条文がどうであれ、憲法解釈がどうであれ、戦争をする権利・責任も、戦争をしない権利・責任も、「国」や「リーダー」だけにあるのではなく、そのリーダーを選んだ国民全員にあるはずです。

田原氏は、次のように言っています。

たとえリアリティはなくても、「国家が『悪魔』だと、とことん疑うメディア」が、ひとつくらいあってもらわなければならない。


しかし、私はむしろ、次のように思います。
多くのメディアの中には、『悪魔』の如きメディアが混じっているかもしれないと、主権者である国民が、常に疑い続けなければならない。

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メディア」カテゴリの記事

コメント

戦後民主主義や共産主義の影響かどうかは知りませんが、
「国家は国民と敵対する存在」
という考えをする人間は、田原氏の年代の文化人では珍しいことではありません。

ブロクの記事と関係ないことなのですが、スマートフォン用のサイトでブログのトップページを表示すると、古い記事から表示されてしまい、新しい記事を見るときにちょっと困ります。可能でしたら改善してほしいと思います。

まあちょっと前まで北朝鮮を『地上の楽園』と激賞していた連中ですから。
根本的に自由と民主主義が嫌いなのでしょう。サヨク連中は。

これ、ちょっと楽天派ではないでしょうが?

「コントロールすべき」と言うのは、事実上、信じないとかなり近いな物だと想います。信じている物はコントロールを出来ても普通しないでしょう。そこまで暇じゃないし。

何れにせよ、コントロールに必要なのはやはり情報ではないですが?だが、例え現代の様なインターネット溢れな時代でも、情報源はやはり多く政府から来るな物です。国民の手によって選ばれた代理人と呼ぶのは理屈上正解。だが、一度選ばれると、彼奴等は私達個人で得られない情報を得られる事ができます。この情報を一部開示、報告する事で国民の支持を得るのは造作も無い。

例えば、米国政府の例で言えば、2002年に「イラクにWMDが有るぞ!」と大きく宣伝する。これは、戦争の主な根拠に成った。米国全体も大半は米国政府からの情報を信じ、戦争に賛成、或いは不反対の態度に成った。まあ、結果は見てる通り。幸い、米国は国力は強いのですし、相手は所詮イラクのゲリラですので、亡国危機等は無い。それでも、赤字が続いて今の厳重な削減しなければ成らない。これは米国に取っても、同盟国に取っても残念な結果と言わざるを得ません。

情報を操る部署は例え下位でも強い。だから、警戒しなければならない。そして、もし政府の情報力と対抗できるな勢力があれば、これはメデイアと呼ぶ。米国で言えば第四(の)権力。

勿論、ここで政府と同じ論調のメデイアは無意味です。反対論調、少なくとも同論調ではないから初めて国民に新たな視点を与え、判断する情報を増えます。これは朝日の存在意義。田原総一郎氏の言わんな事はそうでは無いかしら?

数多様

国民が国家を制御しているつもりでも、国家は国民を欺きます。第2次イラク戦争においてアメリカ政府は国民をだましました。香港からの客人さんと同意見なのですが、「情報を握るものが、握らないものを騙すこと」は可能です。政府は、それができるのです。従って、国家を信用しないという視点は、社会に必ず必要な視点と思います。

一方で、私は朝日の論調は嫌いです。しかしそれは、論理が自己矛盾しているからです。堂々と、「政府や大企業は情報を操作することがあるので信用できないから、常に批判的に見るべきだ」と宣言し、それを冒頭に掲げて記事を書くべきなのです。中立的な振りをするから、あるときはある市民の立場で、あるときはある企業の立場で記事を書いてしまい、論理矛盾する。残念ですが、読むに耐えない記事が多いです。-->田原さんに言いたい(笑)

産経も「政府を擁護する」と宣言しないで、中立の顔をして記事を書くため、読むに耐えない。日経は経済が発展が目標、と掲げているので、読みやすい=ちゃんとバイアスされた記事だと分かって読むし、論点がはっきりしている(賛成/反対は、読者が判断すること)。NHKは国民世論の多数意見に立って報道することを使命にしていて(各所でそう明記している)、世論が変わると、報道内容が変わるので、これもこれで分かりやすいです。読売も実はそれに近い印象です。

話がそれました。

国家、あるいは民主主義を信じるには、一つだけ大原則があります。それは、国民が豊かである必要があるということです。貧乏な国民は、過激になります。過激な人々は、自分の耳に心地よい情報しか聞かないので、(必ず)間違った判断をします。情報が不正確なら、判断が間違うのは当然です。私が防衛費のアップよりも、財政再建を重視するのはそのためです。どんなに防衛費が増えても、国民が冷静な判断力を失えば、国は破滅へまっしぐらですから。

長文、失礼しました。

更新ご苦労様です。

私は田原総一郎を評価することはできません。

田原が「国家を信ずることが出来ず」、「たとえリアリティはなくても、国家が『悪魔』だと、
とことん疑うメディアが、ひとつくらいあってもらわなければならない」と考えることは自由です。
そして、その信念に基づいた論陣を張ることもかまいません。

しかし田原が国家を信じないならば、その信念は全ての「国家」を対象にしなければならず、特に、
ロシア、中共、朝鮮、韓国、を日本以上に信じられない「邪悪国家」としなければならないでしょう。

邪悪国家に囲まれた日本に暮らしながら、日本が他の先進国並みの武力と法を備えることを
「国家は悪魔」を理由に論難するのは矛盾であり卑怯と思えます。

幸いなことにネット世代は田原を軽蔑していますし、おんとし80歳。 すみやかに「悪魔」でない
理想の国家に旅立たれることを祈っています。


末田 俊紀さま

敢えて渦中の栗を拾います。

まず、私は田原さんが嫌いですが、評価はしています。一時代を築いた人であり、ある種の論壇を率いた人であり、安全保障/軍事という、この国で人々が日頃口にしない話題を、必死に取り上げ続けたことを評価します。

私があの人の立場で一番評価するのは、自分の立場を明確にしていることです。批判を受けることを覚悟で、論壇に立っている。あまたいる、無責任ないい逃げの「評論家」とは違うと、私は、思います。ハンドルネームで他人のブログにコメントしているだけの、私とは違う。

#まぁ、私は本職がジャーナリストではないので、それで良いと思っていますが。

でも、その結果として、大変嫌われることもあるのでしょう。ですから、末田様のご意見も当然で、それを否定しているのではありません。

田原さんのご意見には、大半、私は反対でしたが、それは「評価」とは関係ありません。

あの方が抱えている、使命感、我々の伝えたいこと。それは理解したいと思います、そういう意見があると。非常に大きな経験をして、その経験を後世に伝えることを使命にしているのは、私は理解できる。というか、その伝えたいことを全力で受け止めたいと思う。広島で原爆の災禍を伝えている人、沖縄で戦争の悲惨さを伝えている人、みな同じです。司馬遼太郎さんも同じだと思います。明らかに偏っているけれど、伝えたいことがあったのです。それを無視しては行けない、うまく言えませんが、そうしたものはきちんと受け止めないと行けないと、そう思うのです。

その上で、「でも、私は違う意見である」と言えば良い。

うーん、ごめんなさい。言いたいことが不明確ですね。私は、反対意見を言う人には、その人がポリシーを持って行動していて、こちらに何かを伝えたいと「きちんと努力している」限りは、敬意を払ってお聞きすべきであるという立場である、ということだけかもしれません。

失礼しました。

ドナルド様

ジャーナリストの条件とは,「どんな視点(切り口)で、どの立ち位置から語るのか」
だと思っています。

戦争で命を落としたり傷ついた者を対象として、その悲惨を訴えるのも意味がある
でしょう。 また、国家が謀略的に国民を扇動した事例(イラク大量破壊兵器や
トンキン湾等)を糺すのも有意義であると思っています。 
多くの戦争に共通し、不可避的な事柄だからです。

私が田原氏を卑怯と思うのは必須である自国の防衛を個人的体験を隠れ蓑として
使い、正義ヅラを掲げて民衆を偏った方向に導こうとする姿勢です。 
シナ・南北朝鮮の工作員と区別がつきません。 

田原氏が司馬氏のようなフィクションや紀行で「思い」を伝えようとすらなら問題は
ありません。  しかし、ジャーナリスト」として「彼の思い」を使命感と共に伝えたい
なら、彼なりの防衛策を表明するか、または、「絶対的に戦争が嫌で、有事ならば
即、他国に亡命する」、または「占領国に全てを差出し媚びへつらう」とでも最初に
語るべきと思っています。

しやもし 様
>「国家は国民と敵対する存在」という考え
これは、完全に政治権力を国家、労働者を国民に置き換えたマルクス主義ベースのプロパガンダの結果でしょうね。

ブログのスマホ対応ですが、調べて見ましたが、分かりませんでした。
ココログのアプリ導入をさせるための嫌がらせではないかと思いますが、残念ながら、私の方では対応できません。
スマホ表示ではなく、普通のPC表示に戻すことが可能らしいので、そちらを試して頂けないでしょうか。

名無しX 様
中立を自称されてますが、左寄りの方ですからね。

香港からの客人 様
やはり、住んでいる環境が違い、基本的に入手出来る情報に差異があると、かなり感じ方が違うのだなと思います。

日本のメディアは、スポンサーの影響は強くても、政府の意向を受けている中国メディアとは違います。
そのメディアの自由も、勝ち取って行かなければならないものですが。

ドナルド 様
アメリカの例ですが、あれは情報機関の分析自体が間違っていたので、情報操作の例として出すのは不適ではないでしょうか。

私は、国だろうがメディアだろうが、そもそも「信じる」ことが間違っていると思っています。
「信じる」ということは、無批判に正当性を認めるということですから。
(同じ理由で宗教もキライです)

民主主義も、今のところ、他よりマシだと思っているだけですし。

末田 俊紀 様
田原氏も、朝日と同じでリアリティを失っていると思います。
(昔もあった訳ではありませんが)

>スマホ表示ではなく、普通のPC表示に戻すことが可能らしいので、そちらを試して頂けないでしょうか。

通常表示だと、横のコラムは大きいです。横方向表示のタブレットで見るならOKですが(私も時にそうします)、スマホ程度の縦方向画面で見るとかなり狭く成ります。読めないまでじゃないが、不便です。

この際、コメントでアクセスするのはどうだろう?あれは新しい物から表示されるだし、そして新しいコメントは概ね新しいの記事に集中するのです。

>情報機関の分析自体が間違っていたので、情報操作の例として出すのは不適ではないでしょうか。

建前上、こう言う物に成っているが(欺瞞に成ったら、関係者は逆賊として処分しなければ成らなく成る)、実際はどうでしょう?「WMDとも言える」な物すら一つも無かったぞ!そこまで無結果に成ると、どう言う情報分析で「絶対に有った、そして処分しなければ成らない」の様な結論が出たとは疑問したい。

米政府、或いはこの一部の意図的な欺瞞が有ったどうかは別として、メディアはこう言う時機能を発揮し得る。仮に、当時米国メデイアのパワーバランスはもうちょっと反政府的な物で、政府の発表にもう少し疑問を示せば、米国国民の意識もそう早く戦争を認めないでしょう。そうで有れば、欺瞞を破り、或いはミスを発覚する機会も有って、戦争を回避出来たの筈。

>そもそも「信じる」ことが間違っていると思っています。

私としては、信じるの定義はちょっと違うし、そして止むを得ない事と思っています。どんな才能が有っても、そしてどう頑張っても一人で再確認出来る物は高が知れている。その他は精査せず、受けるが受けないと決めなければ成らない。そして、受けると決めた時、これは「信じる」と呼ぶと思っています。

香港からの客人 様
情報機関が誤った経緯については、米議会でも相当に追求されていますし、いつだったかの軍事研究誌に、総括が載ってました。(香港で見る事は難しいとは思いますが)

情報を出さない、あるいは積極的に偽情報を出す外国政府について、メディアが発揮できる機能は限定的でしょう。
時に、対象国の法を犯しても情報を収集する情報機関のようなことはできませんから。

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