主権在民なら責任も在民
参院選で自民党が大勝したこともあり、集団的自衛権に関する憲法解釈が変更されそうな状況です。
集団的自衛権を行使すること自体は、日米同盟を機能させるために必須です。
なので、行使を認める事自体には賛成です。
しかし、必要なこととは言え、行政である政府が、本来ならば司法が介在すべき法、しかも憲法の解釈を変更するだけで、大きな懸案を解決しようとすることに、非常な抵抗を感じます。
その方法も、内閣法制局が綿密な検討をした結果として変わるならまだしも、行使容認派の人間に長官の首をすげ替えることで、アッサリと法解釈を変えようとすることは、非常に乱暴な措置です。
私としては気に入らない人ですが、元内閣法制局長官であった阪田氏が言いたいことも、同じでしょう。
「内閣法制局の元長官、集団的自衛権めぐる動きを批判」(朝日新聞13年8月9日)
「集団的自衛権の問題は日本国憲法の三大原理の一つ、平和主義に関わる。国会の憲法論議も圧倒的に9条に集中して積み重ねられてきた。そういう蓄積を無視し、今までのは全部間違っていたということが、果たしてあっていいのか」
なぜ行使が必要で、歯止めはどうするのか。国民への説明は首相と小松氏の連帯責任となった。阪田氏は「法治国家として、9条がもし時代に合わないなら改正するのが筋だ」と主張。「万一憲法解釈を変えるなら、内閣として国民の大方が納得する説明が最低限必要だ。それが政治だ」と語った。
民主主義では、主権在民ですが、民にあるのは主権だけでなく、その主権行使の結果で得られる結果も、同じく民の元にあるはずです。
9条の改正を否定し、集団的自衛権を行使しない結果、アメリカから冷遇され、国防も経済も崩壊したとしても、それが国民の選択の結果なら致し方ないことです。
安倍政権は、それを防ぐつもりなのでしょうが、集団的自衛権の行使を否定するならば、私は、その選択をした国民自身が、痛い目を見るべきだと思ってます。
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いつもブログを拝見させていただいてます。大変勉強になります。
ところで、その、内閣法制局は行政府の一機関です。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S27/S27HO252.html
法律上、内閣法制局は行政府の法律審査・助言機関にすぎないので、憲法解釈をする権限は実は法制局にはありません。憲法上、国会が国家の最高機関であり、国民に選ばれた国会の多数決で指名された総理大臣および内閣には、憲法解釈をする正当性があると思われます。その解釈に異議がある場合、とりうる方法としては1.司法に訴える(ただし最高裁にまで行った段階で、最高裁が解釈を避ける可能性はある)2.国会の多数で内閣を不信任するーその結果総選挙ー総理大臣の選びなおし、ということかと。もちろん、数多さんのおっしゃるとおり、結局は国民の選択が重要であって、その結果国民が痛い目に合うことになればそれは自業自得だというのには私もまったく賛成です。
投稿: ナーディQ | 2013年8月22日 (木) 15時18分
主権在民は政治理論としてはそのとおりですが、政治の現実としては日本国民は必ずしも100%の意味での主権者ではなく、かつ日本国民が100%主権者であることが正しいとも言いがたい面があるのではないでしょうか。
投稿: US-2ラブ | 2013年8月23日 (金) 18時50分
数多様
数多さんのご意見に反対するモノではありませんが、私個人は少し違う視点でみております。
民衆が責任を取る。そう言うだけでは、それは「無責任」ということです。民衆とは「私たち」の集合体であり、私たち自身が常に、何が出来るかを考えるべきだからです。(むろん、そんなことは重々承知でおっしゃっているのだと思いますが)
・9条改正が本当にいいのか?(私は9条は小規模改正派であり、「自衛隊」の保持の銘記だけし、他はほとんど変更しないで良い、という考えです)「平和国家」のレッテルは、外交上も価値があるし、国民全体のコモンセンスとして、有効かつ重要と考えます。(ただし、これはあくまで私個人の意見です)
・「集団的自衛権」の問題が、そこまで硬質な議論かといえば、私はそう感じていません。現憲法下だって、やろうと思えば出来る。副作用は「憲法の形骸化」です。法学的には大きな欠陥になるのでしょうが、これもまた一つの解です。この場合は「法治国家」の看板がすこし揺らぎますね。
・「集団的自衛権を行使しない結果、アメリカから冷遇され、国防も経済も崩壊」に至ることが、必ず起きるとは、私は思いません。中国の台頭がそれ(日本が中国側に回ることを許容する)を許さないでしょう。日本は小国として上手に立ち回ることは「不可能ではない」。問題は、アメリカが孤立主義に陥った場合ですが、その場合は集団的自衛権云々も関係ありません。
上記の意見の背景にあるのは、「9条の改正」は、私から見ると「天皇制の廃止」レベルの、日本の国体のあり方論につながるほど、大きな問題だと考えるからです。一方で、そう考えない人に取っては、沢山ある条文の一つでしょう。たしかに、憲法発布から60年余り。この大論争を議論する、というのも重要かもしれません。
しかし、私個人としては、「財政再建と、少子化対策」のほうが、よほどこの国の未来を担う重要な問題、「今そこにある危機 clear and present danger」だと考えています。後は些細な問題。
参考まで。
投稿: ドナルド | 2013年8月24日 (土) 02時21分
ナーディQ 様
おっしゃるとおり、法制局は行政機関の一部です。
そして、法解釈の”実態”において、非常に強い影響力を持ってます。防衛問題では、集団的自衛権に限らず、どれだけ難癖を付けられてきたことか……
だからこそ、問題なのではないでしょうか。これが曲がりなりにも司法の一部であれば、仕方ないとも言えますが、そうではありませんから。
US-2ラブ 様
直接民主制ではないことを仰っているのでしょうか?
だとしたら、確かにその通りだとも言えると思いますが、日本で直接民主制になったら、残念ながら、それこそ衆愚政治に陥る気がします。
ドナルド 様
憲法の形骸化を、これもまた一つの解として受け入れてしまえるのであれば、(というか安倍政権はその方向で動いてますね)確かに、仰るような考え方も出来ると思います。
ですが、私はどちらかと言えば法を尊重したい方ですので、それには抵抗があります。
少子化対策はともかくとして、財政再建が緊喫であるなか、中国の台頭の中で、「不可能ではない」程度の細い道を目指すことは適切ではないと思います。
それを目指すなら、それこそ、中国に頭を下げて、尖閣を差し出す程度のことはしないとダメではないでしょうか。
投稿: 数多久遠 | 2013年8月25日 (日) 13時29分
数多様
目的と手段は何なのか、という問題です。
たとえば戦争における勝利または戦争の抑止を目的とする立場の人間から見た場合、主権在民は国民の戦闘への自発的貢献を促し、また自らの戦争指導を円滑化するための効果的な手段ではありますが、それ以上ではありません。それは状況に応じて適切に用いるべき政治制度であって全面的かつ無条件に従うべき教条ではないはずです。
日本は民主主義の国である、とはよく言われることです。しかし日本が民主主義国家であることは政治の目的でありましょうか?
歴史的に見た場合、古くは明治政府の「万事公論に決すべし」から戦後の現代的デモクラシー、さらには近年の「民主主義の価値観を共有する国家の連帯構想」に至るまで、すべては激動する近代以降の国際環境に日本という国家が適応し生存するための手段に過ぎなかったのはではないでしょうか? そうであるならば、主権在民という原理原則が必要に応じて歪められることにも一定の合理性を認めなくてはなりません。
もちろん逆に、より民主的な国家を目指すことを目的とする人々からすれば今回の決定は、彼らの目的への挑戦と映るのは当然のことです。
要は各人が何を己の目的とし、主体的に政治に参画していくか(それは必ずしも主権者としての参画とは限りません)という問題に帰結するように思います。
ちなみに私の場合は、理想とするところは中長期的により生存性の高い国家の実現です。この国家とは皇室を象徴あるいは名目上の君主とする、単一民族もしくは多民族による国民の凝集性の高い共同体を指します。
その目的からすると今回の決定は、将来発生し得る戦争における勝利または戦争そのものの日本にとって都合のよい形での抑止につながり、巡りめぐって有権者の政治参画の意思を高揚し、政党選択能力を高め、結局は主権在民という政治ツールをより効果的に運用可能にすることにも繋がるのではないかと肯定的に考えております。
投稿: US-2ラブ | 2013年8月26日 (月) 23時34分
US-2ラブ 様
なるほど、そういう考え方ですか。
となると、この点は、私とかなり考え方が異なりますね。
私は、そちらが言われる「より民主的な国家を目指すことを目的とする人々」に近いでしょう。
今回の集団的自衛権行使の問題が、そちらが考えるようなサイクルになれば確かに望ましいことですが、私には無理なことに見えます。
国民全体が、そんなに頭が良いとは思いません。
もし、それくらいの理解力があるなら、民主党に政権を渡したりはしないでしょう。
投稿: 数多久遠 | 2013年8月27日 (火) 01時22分
数多様
いつも興味深くブログを拝見しております。一般企業内でも法務部は強大な権限を持っていますが、政府でも同じだったのですね。知りませんでした。
私としては内閣法制局といえ、行政府の一部ですので、時の政府の意向を汲むのはある程度当然だと思います。(これまでがおかしかった) ですから阿部内閣のやり方に違和感はそれほど有りません。
もしも行政府が憲法違反等の暴走を始めた場合、それを止めるのは司法の役割です。(またそのような暴挙をしでかした政府・政治家を不信任 (立法府)、投票で叩き出すとういう方法もありますが (国民主権))。
政府の集団自衛権解釈、発動が9条に抵触する疑いが有るのであれば裁判所に提訴すべきです。(もっとも、訴訟資格(?)”standing"の問題で、誰が訴訟を起こせるかという問題はありますが)
国民の目が裁判所の仕事に目を向けるのに良い機会ではないでしょうか。これまで余りにも、国民は裁判所の仕事、特に最高裁に無関心過ぎました。
最後に国民主権とは国民が自分の判断および行動の責任を取るという事ですので、国民が痛い目に合っても仕方ないという点では全面的に数多様に賛成です。 民主主義ではそうあるべきです。
追伸。 全く関係ない話ですが、F-2に関するご意見をいつか拝聴出来ればと思います。 F-35の開発の遅延に関連し、F-2のラインを再開するのも一案だとは思うのですが、其の価値のある機体なのでしょうか?
投稿: オレゴン在住 | 2013年9月 1日 (日) 15時43分
オレゴン在住 様
アメリカ在住の方からすると、行政府の首が時の政権の意向ですげ変わるのは、常識なんでしょうね。
ですが、日本では、横暴とみなされることが多いです。
法的には、行政府の違法行為は、普通に警察・検察が捜査できますが、行政機構の一員である彼らができることは、おのずと限られてますね。
FX選定の際には、私は一貫してF-2再生産を主張してましたが、既にF-35で予算も付き、関連国内企業も動いている以上、現段階で再度舵を切りなおすのは不適切だと思います。
もう、F-35に賭けるしかないでしょう。
投稿: 数多久遠 | 2013年9月 3日 (火) 20時11分