コクリコ坂に見る宮崎駿の矛盾_反戦平和思想と戦争への憧憬
スタジオジブリの最新作「コクリコ坂から」が公開されています。(シナリオ:宮崎駿、監督:宮崎吾朗、以下敬称略)
全く予備知識なく見たのですが、朝鮮戦争とそれに関わった日本人の史実が、ストーリーに深く関わっていて、ちょっと驚きました。
(メインは主人公の恋愛ですが、その障害(スパイス)として朝鮮戦争が出てきます)
特に、主人公の父親が、LSTの船員として、事実上戦争参加していたことが描かれていて、思わず「おっ」となりました。
ちなみに、LST船員としての日本人の戦争参加については、次のサイトがなかなか興味深いです。
朝鮮戦争と日本
さて、問題はその描き方です。
宮崎駿と言えば、wikiの政治的・思想的スタンスでも冒頭に「反戦」と書かれているとおり反戦平和調で、かつ米帝という単語を使うように反米で知られていますが、朝鮮戦争での敵が北朝鮮であったためか、「コクリコ坂から」では、反戦・反米調は押えられいます。
それどころか、主人公の父親の戦友への友情が、むしろ肯定的に描かれていて、「宮崎駿は変節したのか?」と思うくらいです。
「LSTか」という台詞とともに描かれたLSTの触雷シーンなどは、実写フィルムを見て起こしたんでしょうが、(不謹慎な言い方ですが)美しいと言えます。
もっとも、宮崎駿は、以前から軍オタであることも知られているみたいで、ナウシカでの機関砲の対空射撃なんかも、非常にリアルで美しかった記憶があります。
少々回りくどい言い方になりましたが、何が言いたいかと申しますと、宮崎駿の作品には、反戦平和思想の反面、戦争への憧憬と言いますか、郷愁のようなものも感じます。
宮崎作品が日本で受ける理由には、そんな面もあるのかもしれません。
怪獣やエイリアンなど、醜悪なものを見たがる心理が、人間の中には確かにあります。
戦争は、避けるべきものですが、それが一面人間を引きつけることも事実です。でなければ、ハリウッドの戦争映画なんて存在しません。
学校教育で反戦平和を押しつけられ、表だって戦争に興味を持っているということを口にできない風潮のなか、反戦平和のテイストを持ちながら、戦争を描く宮崎作品は、日本人のフラストレーション解消に貢献しているのかもしれません。
今回の「コクリコ坂から」は、人の死がよりリアルに描かれている分、「紅の豚」以上にそんな感想を抱いた作品でした。
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コメント
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人間というのは 悪を知る あるいは身につけなければ善の定義を成り立てられないのではないのでしょうか
投稿: | 2011年8月21日 (日) 21時02分
管理人様の今回の記事、なんだかすごく共感できます。自分が今まで言葉に表現出来なかった事を完璧に文章に起こしてくれた。そんな感じです。反戦と言えば、散々戦争の恐怖を植え付けておいてその回避方法が米軍の撤退と自衛隊の縮小である…。これで大人が納得するのは悲しいです。しかし日本の外交方針をしっかり教育しないのだから仕方ないとも思うのです。中学の社会科(数年前です…)では現代の防衛については2ページ、主に予算の資料と紛争地域の場所だけ。イージス艦=学校何個分。とか。ちなみにそのページは授業で一度も使っていません。日本のおかれた状況を知る機会なんて日常生活では皆無なのに教育ですらありません。歴史なんか知るだけで何も学んでいません。話がそれました。結局何が言いたいかと言うと、市民団体と宮崎駿監督が中国大使館を襲撃して反戦を唱えると大使館員が感動してトトロを歌い泣きながら帰国するだろうということです。
投稿: | 2011年8月22日 (月) 01時26分
「泥まみれの虎』
で取材でエストニアやドイツに行って、カリウスにもインタビューしてますし。
もし未読でしたらをお勧めします。
投稿: | 2011年8月22日 (月) 19時47分
名無し 様
無垢の赤ん坊が、してはならないことをたしなめられて、最初に知るのは悪ですし、善悪で言えば我欲は悪ですから、少なくとも、まず悪ありきですよね。
名無し 様
「反戦」の語自体が、戦争を避けることを意味するのではなく、反米プロパガンダの中で、(日本の)反軍備を意味するように、本来の語意ががねじ曲げられているので、難しいですね。
防衛の教育は、そんなに少ないんですか。
平和の反意語が戦争なんですから、平和を教育するためには戦争を教えなければいけないはずなんですが……
宮崎駿に限らず、反戦平和を唱える方々が、チベットやウイグルを侵略し、今また南シナ海や東シナ海に膨張しようとする中国に、どんな態度を取るのか見てみたいものです。
名無し 様
知りませんでした。
宮崎駿はそんなものも書いているんですね。
内なる欲求のはけ口として書いたんでしょうか。
投稿: 数多久遠 | 2011年8月22日 (月) 21時00分
『泥まみれの虎』はいいですね。宮崎アニメ感がかわるかもしれませんよ。
反戦といったって、受けるのが好きな作家(これは広い意味です。ほとんどの作家は受けるのがすきです)ですから、ナウシカ等で反戦・反米に祭り上げられたのは迷惑かもしれませんよ。
冗談半分にしても飛んでる飛行機の中で、飛行機が墜ちる映画w(紅の豚)を作ったひとなんですから-。
ナウシカはたしかにある意味で環境問題の先取りのような面もありますが、原作を全部読むとかなり印象は違いますよ。
言いたいことは、宮崎アニメは宮崎作品んの中での一部門に過ぎない、作家としての宮崎駿はもう少し幅が広い、と言う事です。
投稿: みやとん | 2011年8月23日 (火) 16時25分
みやとん 様
どんなクリエイターも商業ベースで作品を出す以上、自分の意向だけで作れませんしね。
ましてやアニメは共同作業ですし。
あと一作、自伝的なものを作ってアニメはお終いにするようなことを言っているみたいですが、もっと趣味に走ったものを作ってくれないかとも思いますね。
投稿: 数多久遠 | 2011年8月23日 (火) 21時03分
宮崎さんが10代のころに投稿した『世界の艦船』の読者欄の記事の画像を見たことがあります。
筋金入りですよね…
投稿: | 2011年8月23日 (火) 21時49分
初めて書き込ませて頂きます。
黒鉛と申します。
>筋金入りですよね…
雑草ノートなんかを読んでると、すごいの一言ですねぇ。
対談等を読んでいますと、宮崎さんが唯一自分の趣味で作った映画が紅の豚(原題:飛行艇時代)と述べていますね。
投稿: 黒鉛 | 2011年8月24日 (水) 20時19分
名無し 様
10代の頃からの筋金入りでしたか。
とすると、もしかして反戦平和は、偏向したメディア界からの強制だったりして……
黒鉛 様
軍事防衛に興味を持つ方からすると、もっと趣味に走ってもらった方がいいですね。
投稿: 数多久遠 | 2011年8月24日 (水) 20時55分
なんだかコメント欄が偏向していませんか。数多さんまで乗っかっているのは少々残念です。
宮崎氏は筋金入りの軍事オタク/趣味を持っている事は事実でしょう。たまに紅の豚のように自分のフラストレーションを全てぶつけるようなモノを作ったりする。
それとは別の側面、戦争の悲惨さを知り、共産主義的な理想を持っていて、アメリカのこん棒外交を手段として嫌っている。
別にチベット問題や尖閣諸島問題を良しとしている訳でも無い。
政治家じゃないんだから首尾一貫している必要なんてどこにもありません。
戦後世代のインテリゲンチャとして理想と現実の間で股裂き状態になっている人/日本社会の代表、ただそれだけの事では?
投稿: | 2011年8月24日 (水) 23時22分
名無し 様
コメント欄は、自由に書いて頂いて結構です。
私は、軍事に興味を持つものとして、軍事に関わるようなものを作って頂ければ嬉しいと思ってます。それが政治的には反戦平和思想だって構いません。「火垂るの墓」だってちゃんと見ましたよ。
悲しい話は苦手ですが。
>股裂き状態になっている人/日本社会の代表
まさにこの通りだと思っています。
だから日本で受けるんだろうと。
投稿: 数多久遠 | 2011年8月26日 (金) 20時28分
>戦争への憧憬と言いますか、郷愁のようなものも感じます。
たしかに。『風立ちぬ』を見てもそれを感じますね。戦前、戦中の日本へのノスタルジアとでも言うべきものを。
もし、宮崎駿が「少国民世代」で、ストレートに当時の「軍国主義教育」を受けていたら、現在の様な軍事・兵器オタク的な面は持たなかったのでは?と愚考しております。
投稿: 懐疑派 | 2014年8月 5日 (火) 23時15分
懐疑派 様
微妙な時期の生れというのは、確かにあるような気がします。
精神は幼少期に決定され、思想は青年期に形成された影響なのかもしれないなんて思えてしまいます。
投稿: 数多久遠 | 2014年8月 8日 (金) 01時32分