シミュレーションを書くこと
軍事研究誌の最新号である2009年3月号に、元陸上自衛官の高井三郎氏が、「竹島砲爆撃作戦は可能か?」という記事を書いています。
この記事の内容については、また別の機会に書きたいと思っていますが、今回はこの記事の文末に同氏が、「日本の防衛担当記者達は、筆者の竹島・対馬作戦の一例を見て、相手にわが手の内を見せる秘密漏洩と騒ぐであろう。」と書いていることについて書きます。
と言うのも、同氏が非難を受けるなら、公開している小説中で、同氏と同様に起こりうる危機を描いているため、私も同罪だろうからです。
同氏の論文は、日本が竹島を攻撃した際に起こりうる事態について記述しています。
私の書いた小説は、北朝鮮が長射程の弾道ミサイルを開発した後に起こりうる事態について書きました。
想定している事態はまったく別のことですが、周辺諸国の軍事的能力や自衛隊、米軍の能力から、起こりうる事態とその結果を予想して書いているという点で同じです。
同氏と私では、メジャー度が雲と泥ほど違うので、同じ罪だとしても量刑は違うでしょうが、同氏が有罪なら私も有罪でしょう。
ですが、同氏が「現代各国軍の参謀教育を受けた将校であれば、誰でも気が付く」と書いている通り、シミュレーションが正確であればあるほど、結果は必然的なものとなり、相手国の軍人も同じものを予想するはずなのです。竹島を巡る事態は、韓国軍参謀本部も同じような予想をしているでしょうし、ICBM級のミサイルが開発できた時のことは、朝鮮人民軍内部でも予想できているはずです。
一方、上記の通り、同氏はこういったシミュレーションを公表することに問題はない、と書いているものの、その意義を書いてはいません。
しかし、私はこの意義こそが重要なのだと考えています。
民主主義の国にあっては、軍人(自衛官)だけが、軍事的に予想される事態を考えていれば良いというものではありません。
広く国民全体が、起こりうる事態を理解し、国防政策についての意思を持っているべきです。そのためにも、起こりうる事態を分かりやすく示したシミュレーションが公開されているべきだと考えています。
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